たとえば、生まれながらに片足が不自由だったとして。
たとえば、二十歳で交通事故にあって、片腕を失くしたとして。
同じ障害や病気でも、
先天的か、後天的か、
その違いが意味するものは一体なんなのだろう。
と一時期ずっと考えていました。
先天的なものは、
「こんな身体に生まれたくなかった」
「こんな身体で産んでごめんね」
という重力とセットになっていて、
後天的な方は、
「なぜ自分だけこんな目に」
「あれもこれも、できなくなってしまった」
というsolitudeと重なる。
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また、一口に後天的と言っても、年齢による差は大きい。
小児がんで3歳で亡くなる方、
90歳になって膵臓がんで召される方、
どちらも同じ病態だけれど、
前者は「なぜ生まれてきたのか」
後者は「天寿を全うしたようなもの」
となる。
生命機能が停止したという意味では同じことでも、
それが持つ意味合いは全く異なるのが常識になっている。
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これらを「しょうがないよね」って運命論的に語るのではなく、
その人生が描く「軌道の質」として眺めたときに。
「今回の人生は、この体験を味わってみたかったんだネ」と理解するのが、
自分としては一番しっくりきます。
人生が一回きりだとしたら、こんな馬鹿げたゲームないよなって昔から思ってたけど、
多分、そういうこと。
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みんな、なりたいようにしかなれないし、ならない。
だから、すべてはもう実現しているし、成就している。
そうイメージして、カラダに意識を向けてみると、
背骨の中心の軸が太くなるような気がするような、しないような…