骨について

  • 雄一
  • 6月 12, 2026
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この春から、武道に精通された方に

いろんな身体技法、とくに意識・精神とカラダの連動について

学ぶ機会を得ている

(学んでいるというか、遊ばせてもらっている感じだけど)

 

その会で、まず「ああー」と思ったのは、「骨」。

 

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「肉を切らせて、骨を断つ」なんて言葉は、骨こそが本質である、という考えをシンプルに表している

 

一方、現代の身体感覚的には、カラダっていうとなんとなく「筋肉」としてイメージしている方が多いように思う

 

○○をし過ぎてしまって、筋肉を痛めてしまった、みたいなカラダの把握の仕方はよく見聞きするし、自分自身にも心当たりあるかなあと

 

しかし武道的な世界観だと、最も合理的で無駄のない身体操作が追求された結果として

「骨」

が中心になる

 

筋肉でなんとかしようとするとすごいエネルギーを使うけれど

骨の動き、つながりを意識することで、少ないチカラで大きな出力がだせる、という発想です

(そしたら敵がたくさんいても、やられない可能性高まる)

 

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僕が整体操法のベースにしている野口整体でも、骨というものを大事にする

 

とは言っても、ダイレクトに骨をどーにかするわけではなく、

骨の理想的なポジションだったり、動きやすさをしっかり観ている

 

ところで、骨は膜(とか腱)を介して筋肉とつながっていて

単体では位置が定まらず、

筋肉が他の骨とつなげてくれて

はじめて自分の位置が定まる

 

だから、骨の周りの筋肉とか筋膜とかの緊張を適度に解いてあげると、

骨は勝手によろしい状態になる、という理屈です

 

逆にいうと、ある筋肉がすごく疲れるとか、こわばりやすいとか、怪我しやすいとか、

それはうまいこと「骨」を使って身体を操作できていないよね、というサインとして読めるということ

(自律神経や内臓系からの連動で筋肉に異常が出るケースはまた別)

 

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骨っていうと、

やっぱり「背骨」「骨盤周り」が中心かな

 

背骨って30弱あるけれど、構造として強い一本の軸でありつつ、

一つ一つが柔軟に、チカラを伝え合ったり、逃したりできるか

 

これって、精神性ともつながっていて、

「自分」という軸がしっかりありつつも、外で起きる出来事を受け止めつつ流す、みたいな「めぐり」がある状態

 

だから、背骨を観るということは、

その人の生き方を観ること

 

自分で自分の背骨を見ることはできない、というのもなんだか象徴的だな、と思う

 

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そういや、骨に豊かと書く「體(たい・からだ)」という言葉を使うのも武道の世界で、これの由来って何だろう

 

骨がたくさん集まって身体になってるんだヨ、の意か。

骨に肉が豊かにくっついて身体になってるネ、の意か。

それとも、生の豊かさを味わいたいのなら骨を活かそうネ、の意なのか…

 

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骨の形にもフラクタルがあって、

同じ形の部位には連動性があるって言われている

 

仙骨を逆さにすると後頭骨に似てるから、後頭骨に手を当てて呼吸を入れたら仙骨が動く

(これは食べ物で「クルミは脳に良い」ってのと一緒)

 

東洋医学はフラクタルの学問だから、

骨といったら「腎」であり、腎といったら「脳」とか「記憶」

 

骨は記憶装置という考えもあるらしいが…それはまたの機会に。

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