あらゆる変化には、それに見合った「時間」が必要です
子どもに対して、「もっと早く成長してくれないかな〜」と思っても、
彼、彼女にとって必要な時間というものがあるし、
植物に「早く大きくなあれ」と大量の肥料をあげたとて、
ジャックと豆の木みたいに翌日にグーンとかは、ない
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でも不思議なことに、自分のカラダに対しては「せっかち」になる人が多いように思う
いろんなことがあって、
いろんな気持ちになって、
いろんな夜を超えてきたカラダだから、
やっぱり、いろんな経過を踏みながら変わっていくものだよね、
と思えるのが自然な気がするけど、さて…
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望んだわけではないけれど、この世に肉体をもって生まれ、
なぜだかこんな顔、手足で生きる設定になっている私たち
なぜだかこんな両親や兄弟のもとに生まれてきた私たち…
生きる、ということは、ある種の「どうにもならなさ」を
引き受けることなしには成立しないようです
つまり、人生というものはその初めから、
とても受け身なもの
それは、「こうだったらいいのになあ」を手放すことからしか始まらないような、何か
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「待つ」という行為は極めて受け身的な感じがするけれど、
その姿勢だからこそ感じ取れる、ものごとの変化、移り変わりというものがある
そして、自分もまた自然のはたらきの中の一点に過ぎないと思えば、
ここが痛いなあ、そこがしんどいなあイコール悪い結果ではなくて
良き方向に流れていこうとしているプロセスの中にいるだけ
移り変わりのなかで、自分がどう変化していくかを、眺める余裕があるか
自分自身を待てるか、どうか
それはある種の「覚悟」のようなものかもしれないし、
「成熟さ」の指標のようなもの、かもしれない
(動物占いで猿のワタクシは、大変せっかちでありますが…笑)
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身体を変えてゆく治療ごとにおいては、
こういうマインドがとても大事だなあと感じます
焦らず、たゆまず、一歩ずつ…
自分で用意できる最良の薬の一つは、「時間」かもしれません