この春から、武道に精通された方に
いろんな身体技法、とくに意識・精神とカラダの連動について
学ぶ機会を得ている
(学んでいるというか、遊ばせてもらっている感じだけど)
その会で、まず「ああー」と思ったのは、「骨」。
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「肉を切らせて、骨を断つ」なんて言葉は、骨こそが本質である、という考えをシンプルに表している
一方、現代の身体感覚的には、カラダっていうとなんとなく「筋肉」としてイメージしている方が多いように思う
○○をし過ぎてしまって、筋肉を痛めてしまった、みたいなカラダの把握の仕方はよく見聞きするし、自分自身にも心当たりあるかなあと
しかし武道的な世界観だと、最も合理的で無駄のない身体操作が追求された結果として
「骨」
が中心になる
筋肉でなんとかしようとするとすごいエネルギーを使うけれど
骨の動き、つながりを意識することで、少ないチカラで大きな出力がだせる、という発想です
(そしたら敵がたくさんいても、やられない可能性高まる)
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僕が整体操法のベースにしている野口整体でも、骨というものを大事にする
とは言っても、ダイレクトに骨をどーにかするわけではなく、
骨の理想的なポジションだったり、動きやすさをしっかり観ている
ところで、骨は膜(とか腱)を介して筋肉とつながっていて
単体では位置が定まらず、
筋肉が他の骨とつなげてくれて
はじめて自分の位置が定まる
だから、骨の周りの筋肉とか筋膜とかの緊張を適度に解いてあげると、
骨は勝手によろしい状態になる、という理屈です
逆にいうと、ある筋肉がすごく疲れるとか、こわばりやすいとか、怪我しやすいとか、
それはうまいこと「骨」を使って身体を操作できていないよね、というサインとして読めるということ
(自律神経や内臓系からの連動で筋肉に異常が出るケースはまた別)
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骨っていうと、
やっぱり「背骨」「骨盤周り」が中心かな
背骨って30弱あるけれど、構造として強い一本の軸でありつつ、
一つ一つが柔軟に、チカラを伝え合ったり、逃したりできるか
これって、精神性ともつながっていて、
「自分」という軸がしっかりありつつも、外で起きる出来事を受け止めつつ流す、みたいな「めぐり」がある状態
だから、背骨を観るということは、
その人の生き方を観ること
自分で自分の背骨を見ることはできない、というのもなんだか象徴的だな、と思う
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そういや、骨に豊かと書く「體(たい・からだ)」という言葉を使うのも武道の世界で、これの由来って何だろう
骨がたくさん集まって身体になってるんだヨ、の意か。
骨に肉が豊かにくっついて身体になってるネ、の意か。
それとも、生の豊かさを味わいたいのなら骨を活かそうネ、の意なのか…
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骨の形にもフラクタルがあって、
同じ形の部位には連動性があるって言われている
仙骨を逆さにすると後頭骨に似てるから、後頭骨に手を当てて呼吸を入れたら仙骨が動く
(これは食べ物で「クルミは脳に良い」ってのと一緒)
東洋医学はフラクタルの学問だから、
骨といったら「腎」であり、腎といったら「脳」とか「記憶」
骨は記憶装置という考えもあるらしいが…それはまたの機会に。