Taenal
人間にとっての苦しみを、仏教では「生老病死」と説く
望まないのに生まれてきて、老いては身体が思うようにならず、病気による痛みに苦しみ、そして最後には死ぬ…という苦しみの世界に人間は在るのだと
古来より、できれば避けたい苦しみ、「病気」
それはたしかに、そうなのだけれど…
⭐︎本日のBGM⭐︎
野口整体の中には、”悪くなろうとする身体は存在しない”という考え方がある
つまり、すべての病気、症状と呼ばれるものは、身体が良くなろうとするプロセスにおいて必然的に生じるもの…と考えるわけです
今流行りのインフルエンザを例にとれば、発熱することで侵入したウイルスへ免疫を上げているし、咳や鼻水もウイルスを排泄しようとする働きに過ぎない
さらに言えば、発熱により他の身体の不具合、例えばガン細胞を取り除きたくてあえて感染している、ということもある
それを、無意識のカラダの要求とも呼んだり…
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じゃあ、なぜ治る病気と、治らない病気があるのでしょう
それは、身体が本来の状態に戻ろうとするプロセスのどこかに、”つかえ”のようなもの、滞り、そこにあるべきでないもの、などが横たわっているから
その”つかえ”によって、いつまでも痛みに苦しむこともあるし、生命を維持できるレベルを維持できなければ死を迎えるしかなくなる
人間は、その生きる途上で、たくさんの”つかえ”を、カラダに、そしてココロに集めては抱えているように映る
でも、それは苦しみではなくて
”つかえ”がある状態から、それが外れたときの歓び、開放感を、味わいたくて、あえて体験しているだけではないか?
いやなこと、よいこと
不快なこと、気持ちよいこと
陰と陽どちらも味わうことが、生きるということ
病気は、悪ではない
そう腑に落としたとき、あなたのカラダからは、どんな声が聴こえるのだろうか?
雄一
Taenal