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TAENAL
どうも、こんにちは。
最近、岡山市内の夜はかなり涼しくなってきまして、秋の気配を感じるこの頃。
夏の疲労が出てくる時期でもありますが、みなさま如何お過ごしでしょうか。
しかし毎年夏になるとひたすら「暑い、暑い」と唸っている気がするのですけれど、
炎天下の岡山の街中で辺りを見渡すと、どこもかしこも、マスク、マスク、マスク…😷
これには正直、驚きを隠せませんでした(この驚きを隠すためにマスクをしてやろーか、という位に)
道ゆく人々に聞いてないからわかりませんが、たぶん「さすがにマスク意味ないよな」とは思っているけど、
着けていないと周りから白い目で見られたり、なんなら怒られたりするのでは…という気持ちから仕方なく着けている。
とゆー人がほとんどではないかと考えてますが、どうなんでしょう。
「意味ないしめんどくセー」と思いながら、時と場所を選んで適当に口マスクしているような人はいいと思うのですが、
誰に強いられたわけでもないのに、内なる「誰か」から命令されているかのように常に着用している方、相当問題だと思います。
自然の身体の要求からしたら、こんな暑い中でマスクするのは「不快で気持ち悪い」のが当たり前。
マスクを手放さない(放せない)人は、勝手に他者を内側に取り込んで、それに合わせて自分の体の要求を無視しているわけです。
これって身体と心がバラバラになってゆくベクトルの働き。
こうした精神構造そのものがいわゆる「病」を引き寄せてしまう、と私は考えています。
ですから、コロナになるのが怖い、と本気で思ってマスクしている方は、コロナにかからなくても健康を害します。
(そもそもマスクは清潔でも何でもない話とか、マスクではウイルスを防げない話とか、
マスクにより血中二酸化炭素濃度が上がることの弊害とか、その辺はあえて書きません)
ワタクシ、普段は義務付けられている場所以外ではノーマスクで過ごしていますが、
「ノーマスクでもいいのかも」と感じてマスク外す人が増えてほしい…という気持ちは強いです。
うーむ、どうにかならんものか…
とりあえず、久々に読んで改めて感銘を受けた野口晴哉先生のお言葉を引用しておきたいと思います…
「(前略)・・・健康に生きるということは、人間の本能です。怪我をしても自然に傷が繋がってしまう。お腹が痛いと言っては押さえ、歯が痛くても押さえてしまうが、なぜ押さえてしまうのか判らないし、何故治るのか判らないのに押さえる。それも本能的なもので、誰にでも備わっているのです。・・・
(中略)・・・養生のための、べし、べからずが何万あるか判らない。病気の名前だけでも何千あるか、何万あるか数えきれない。その病気を治す方法がまた何万とある。そこでいろいろな知識がなければ、病気が治らない、健康になれない、ということを考えてしまうのです。ところが蟻でも、豚でも、鼠にしても健康に生きることぐらいは、簡単にやってのけているのです。(中略)だから蟻や鼠にできることが人間には何故難しいのだろうかと不思議に思います。」
「(前略)・・・しかし誰も無意識には健康を保つ力があることを知っていますので、このように大勢集まって、汚れた空気の中で話を聞いたりしても大丈夫なのです。ところが人間自体にそういう力がないと思って、物だけのつもりでいると、絶えず殺菌消毒しなくてはならない。絶えず逃げ回っていなくてはならない。絶えず黴(カビ)菌を殺そうと思っていなくてはならない。子供と喧嘩しても可笑しいのに、もっと小さい黴菌と喧嘩する。しかし生き物は、そういうものを体内に入れてなお豊富に生きる力を持っているのです。」
「外から庇(かば)われなければ侵される、治してもらわなければ治らないという現代の健康観から脱却して、自分自身の裡(うち)なる力を発揮して、自分で周囲の環境に適応して生きてゆく、自分で動いて、体の要求で体を変えてゆく、そういう素晴らしい生活をしてゆくのでなければ、本当の文明ではない。」
(「愉気法Ⅰ」野口晴哉/全生社/昭和61年)
カッコ良すぎて、思わず太字にしてみました…😹
↓ 本日のBGM♫
さて、本日はお盆前に大阪で開催された「内海式精神分析法を学ぶ勉強会」に参加しての感想を少しだけ書いてみたいと思います。
「内海式」でピンときたそこの貴方、大正解です。
ハイ、”キチガ医”こと内海聡先生であります。
今の医学がどんだけおかしなことになっているのか、論理的にここまで言葉を尽くしている人を他に知りません。
そんな内海先生の↓の本を以前に読みまして、ものすごく興味が沸いてしまい…
整体や鍼灸といった主に東洋医学をベースとして仕事をしている人々は、
「自分は西洋医学と違い対症療法でなく、自然治癒力を使い根本治療をしている」みたいに考えていることがあります。
しかしこれって大きな間違いで、身体や心の辛さを取り除くだけの手段は何であれ、対症療法です。
その辛さの原因となっているものを取り除いた時に、はじめて「根本療法」と呼べるわけです。
そして、この「原因」となっているものの割合は、私の感覚的に、
「身体2-3割、精神4-5割、魂2-3割」くらいです。
ここで難しいのは、多くの患者さんが考える自分の悩みの原因は、
「身体6-7割、精神3-4割、魂0.05割」くらいなんですね。
割合の比率は千差万別で、このギャップを施術を通じてどう埋めてゆき、自覚を促すことができるか、
というのが施術者にとって(タエナルでは)の主な課題になります。
そして、話がややこしくなるのは、この「精神」フィールド、大きく2つに分類できるのです。
それが「表層心理」と「深層心理」の2つ。
「表層心理」は自分が自覚しているもの、「深層心理」は自分では全く気づいていないものになります。
つまり、臨床で患者さんが自覚している心理、話す内容はすべて「表層心理」なんですね。
例えば、僕からしたら「もう今の仕事はしたくない!」身体になっているとしか思えないのに、
ご本人は「いやあ、仕事のストレスはあんまりないんですけどね」なんて仰る場合。
この時の患者さんの精神のあり方はざっくり2パターン、
1)実際はストレスを感じているが、この施術者には自分の本音をさらしたくない
2)自覚しているストレスは本当にないが、本人が気づかない(気づきたくない)深層心理が身体にサインを出している
のどちらか。
1)は分かりやすくて、本音=表層心理ですから、病は深くない可能性があります。
(とはいえ、じゃあなんで来るのん…という疑問が浮かぶ程度には歪んだ精神構造かもしれません笑)
深層心理の問題が大きくないのであれば、別の施術者であれば良くなるかもしれない。
難しいのは2)の場合。
この場合、通常の身体的アプローチでは短期的な効果=ザ・対症療法しか見込めません。
それも当然で、深層心理は表の心理=普段の意識の上にとっては不快であったり、非常識だったり、本能的過ぎる。
表層心理はそれに気づくことを全力で拒絶しますから、原因である深層心理はそのまんまになってしまうのです。
これも例えばですけれど、この患者さんの場合、今の仕事は多くのものを犠牲にして得たものかもしれません。
その仕事は母親が強く望んでいたものでもあり、自分より弟を好んでいた母から認められたい思いで努力したのかもしれません。
しかし、いくら努力しても母親から十分な愛を得られないことへの憎しみ、弟への嫉妬心、が症状を出しているのかもしれません。
こんな例は深層心理の中ではめっちゃ浅いレベルだと思いますが、なんにせよ、
なぜ今の仕事を続けたい(なければならない)と思い込んでしまうのか、
そこを掘り下げないことには根本療法にはなりませんよね、というのが内海式、ということになります。
これは俗にいう、自分のうちにある「アダルトチルドレン」というものを自覚して、
それが無意識的に生み出してしまう生き方のループから抜け出そう、という話でもあります。
セミナーでは実際に2人の生け贄(笑)がみんなの前に捧げられて、
プロフィールから家族構成、家系図、恋愛遍歴、仕事歴など客観的なデータをひたすら集めます。
ウツミンが言っていた通り、患者は「完全犯罪者」であり、アリバイをすべて表層に集めています。
その表層=本人の自覚している心理の矛盾をデータから見つけ出して、謎解きをしてゆく感じです。
名探偵コナンくんですね。
ここまで書いて疲れてきたので笑、詳しくは書きませんけれども…本当に、驚きました。
本人が気づきたくないものを目の前に突きつけるので、かなりハードモードではあります。
が、東洋医学でいう「陰極まって陽と為す、陽極まって陰と為す」のとおり、
中途半端な根本療法なんてあり得ないのだな、と感じた一日でありました…
しかし、実際に臨床でこれをやれるのかというと…とにかく研修で事例を積み重ねないと、全然無理だわ。
という感じです。
頭の柔らかい人の方が絶対向いてますね(自信ない…)
*
CS60は対症療法がメインではあるけれど、それ以上の部分があるのも確か。
しかしその原理がわからないから定式化できないし、個人差大きいし、予測もできない。
タエナルとしては、こうした深層心理領域だけでなくて、それらと魂的・霊的な部分とのつながりについても深めたい。
身体ー精神ー魂、それぞれからもっと整理した形でアプローチしたいものです。
自分に残された年月があとどのくらいか知りませんが、
あくまでも根本療法を目指して精進してゆきたいな、と改めて思った次第です☺️
それでは、また。
TAENAL